2009年06月18日

精神保健福祉士(せいしんほけんふくしし)

精神保健福祉士(せいしんほけんふくしし、英Psychiatric Social Worker)とは、精神障害者の保健及び福祉に関する専門的知識及び技術をもって、精神障害の医療を受け、又は社会復帰促進施設を利用している精神障害者の相談に応じ、援助を行うことを業とする者をいう(正しくは、精神保健福祉士法2条を参照。)。精神医学ソーシャルワーカーもしくは、精神科ソーシャルワーカーからPSWとも呼ぶ。国家資格であ

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り、名称独占資格の一つである。名称独占資格ながら、精神保健福祉センターや保健所、精神障害者福祉施設などに必置資格に準ずる配置となっている(精神保健福祉法では精神保健福祉センターや保健所に精神保健福祉相談員を置くことができるとされている)。また、精神科病院においては作業療法士と同じく診療報酬業務があり、多くの精神科病院・クリニックで配置されている。

近年においては、企業のメンタルヘルス問題などを取り扱うEAP分野においても活動を展開するなど、必ずしも医療・福祉分野に限定されない活動が期待されている。

厳密には、精神医学ソーシャルワーカー(精神科ソーシャルワーカー)は職種であり、それに対応する資格が精神保健福祉士であるが、現在では「精神保健福祉士」は職種を意味して用いられることも少なくない。

精神保健福祉士となるには、指定試験機関(同法10条1項、財団法人社会福祉振興・試験センター)が実施する精神保健福祉士試験に合格し(同法4条)、精神保健福祉士登録簿に所定の事項の登録を受けなければならない(同法28条、2条)。

保健福祉系の大学または養成校において履修・卒業し、精神保健福祉士国家試験に合格した後、登録簿に登録することによって精神保健福祉士となれる。

2009年05月31日

中国の開国

明王朝(1368年 - 1644年)は海禁政策を行い、倭寇などによる密貿易が行われた。清朝(1616年 - 1912年)も台湾の鄭成功勢力などに対抗するために海禁政策を行ったが、清朝は明朝と違い、厳格な海禁政策は取らなかった。
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特に台湾平定後は伝統的なポルトガル租借地マカオ以外に広州も開港し、外国商船の来航も認めた。このため18世紀には広州に欧米諸国の商館が設置され、広東貿易が行われた。

アヘン戦争(1840年 - 1842年)の敗北により結ばれた南京条約の締結(1842年)に続き、アロー号戦争(1857年 - 1860年)、清仏戦争(1884年 - 1885年)、日清戦争(1894年 - 1895年)、義和団の乱(19世紀末 - 20世紀初頭)といった事件が起こっていき、帝国主義列強に侵略されていくことになる。イギリスに香港島を割譲、九竜・新界租借地、威海衛租借地を与え、ロシアに旅順大連租借地(後に日本が譲渡され関東州租借地)や東清鉄道利権を与え、ドイツに膠州湾租借地を、フランスに広州湾租借地を与えた他、日本に台湾を割譲した。上海に共同租界やフランス租界が設置され、半植民地となっていく。フランス租界の公園(現黄浦江沿いにある公園)に「犬と中国人入るべからず」という札が掲げられたのは、世界史における有名な逸話である。

2009年04月28日

色の革命

色の革命(いろのかくめい、英:Color revolutions)、または花の革命(はなのかくめい、英:Flower revolutions)は2000年ごろから、中・東欧や中央アジアの旧共産圏諸国で起こった一連の政権交代を総体的に指す。一部では革命の波とも表現される。

色の革命では、腐敗が蔓延し、あるいは独裁的である政権に立ち向かったさい、または民主主義や民族自決を求めたさいに、そのほとんどで非暴力的活動が行われ、これらの動きにおいてはその象徴として色や花が当てはめられた。色の革命では、非暴力抵抗を実行するという点において非政府組織 (NGO) や、とくに学生運動が重要な役割を果たしたことが特筆される。

これらの動きとして挙げられるのは、ユーゴスラヴィア、とくに2000年のセルビアにおけるブルドーザー革命や、2003年グルジアのバラ革命、2004年ウクライナのオレンジ革命、そして暴力が多く用いられたが、2005年キルギスのチューリップ革命がある。いずれも問題とされていた選挙の結果を受けて大群衆が街頭で抗議行動を実施し、反体制派から独裁者とされていたそれぞれの国の指導者の辞任や打倒につながった。

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2000年10月5日、ユーゴスラヴィア連邦共和国大統領スロボダン・ミロシェヴィッチが退陣した。そのさいの一連のデモ活動はその後に続く暴力を伴わない革命の最初の例とみなされることが多い。しかしながら市民が原動力となって投票を促す運動が起こり、また野党が連帯したという点では、それより以前である1998年のスロヴァキアや2000年のクロアチアでの議会選挙で見られた動きである。全国規模の抗議行動においては色などの特定のシンボルは用いられなかったが、事後に抗議行動の完遂を祝して使われたスローガンにゴトブジェ(セルビア語で「奴は終わりだ」の意)がある。ところが共通点は多々あるものの、一連の「色の革命」の始まりはグルジアの事例であるとする意見が多い。ただセルビアでのデモ活動では学生組織オトポール!(セルビア語で「抵抗!」の意)が中心となっていたが、そのメンバーは後の他国における革命に関与していった。

2009年04月12日

七草(ななくさ)

七草(ななくさ)は、人日の節句(1月7日)の朝に、7種の野菜が入った羮を食べる風習のこと。本来は七草と書いた場合は秋の七草を指し、小正月1月15日のものも七種と書いて「ななくさ」と読むが、一般には7日正月のものが七草と書かれる。現代では本来的意味がわからなくなり、風習だけが形式として残ったことから、人日の風習と小正月の風習が混ざり、1月7日に”七草粥”が食べられるようになったと考えられる。

この7種の野菜を刻んで入れた粥(かゆ)を七種粥(七草粥)といい、邪気を払い万病を除く占いとして食べる。呪術的な意味ばかりでなく、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もある。

七種は、前日の夜に俎に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れる。囃し歌は鳥追い歌に由来するものであり、これは七種粥の行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものと考えられている。歌の歌詞は「七草なずな 唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ」など地方により多少の違いがある。

七種の行事は「子(ね)の日の遊び」とも呼ばれ、正月最初の子の日に野原に出て若菜を摘む風習があった。『枕草子』にも、「七日の若菜を人の六日にもて騒ぎ……」とある。

これらは水田雑草ないし畑に出現するものばかりである。おそらく水田周辺で摘まれたと思われる。

歴史 [編集]
中国ではこの日には「七種菜羹」(7種類の野菜を入れた羹(あつもの))を食べて無病を祈る習慣があった。日本でも古くから行われており、『延喜式』には餅粥(望粥・もちがゆ)という名称で七種粥が登場する。餅粥は毎年1月15日に行われ、粥に入れていたのは米・粟・黍(きび)・稗(ひえ)・みの・胡麻・小豆の七種の穀物だった。これを食すれば邪気を払えると考えられていた。なお、餅粥の由来については不明な点が多いが、『小野宮年中行事』には弘仁主水式に既に記載されていたと記され、宇多天皇は自らが寛平年間に民間の風習を取り入れて宮中に導入したと記している(『宇多天皇宸記』寛平2年2月30日条)。この風習は『土佐日記』・『枕草子』にも登場する。

その後、春先(旧暦の正月は現在の2月初旬ころで春先だった)に採れる野菜を入れるようになったが、その種類は諸説あり、また、地方によっても異なっていた。現在の7種は、1362年頃に書かれた『河海抄(かかいしょう、四辻善成による『源氏物語』の注釈書)』の「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」が初見とされる。

江戸時代頃には武家や庶民にも定着し、幕府では公式行事として、将軍以下全ての武士が七種粥を食べる儀礼を行っていた。
秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花(万葉集・巻八 1537)
萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志(をみなへし) また藤袴 朝貌の花(万葉集・巻八 1538)
「朝貌の花」が何を指すかについては、朝顔、木槿(むくげ)、桔梗、昼顔など諸説あるが、桔梗とする説が最も有力である。

春の七種と違い、秋の七草に直接何かをする行事は特にない。秋の、野の花が咲き乱れる野原を「花野」(はなの)といい、花野を散策して短歌や俳句を詠むことが、古来より行われていた。秋の七草は、それを摘んだり食べたりするものではなく、眺めて楽しむものである。

覚え方 [編集]
“おすきなふくは”

百番 セアニア シベリ チョップ キャッチ キラー マンダラ 宙船日本 マスカット ドリネ チェンバロ グラス ベッド スワット てる坊主 つりばな ナット ソース ギャザー チャチャ フォー ソフト 楽隊 パラチフス トゥル キング チープ ルリマツリ ブルゴー デポプロ トロピカル キト日本 コンアレー 台風対策 アイライナ ヒズボラ ルーフ タイム マシュマロ レギュラ ウラン ヨーヨー ファ ナステ ダンス たるみず グロッサム スイム はまます よどえ

2009年03月28日

社会学(しゃかいがく、英:sociology)

粉雪 きくらげ せつごう ラックタイ ドンパ クーラント リコピ サイクル チャドル ドライブス ダウWEB ブイゾーン プレ ドライ ネック ヒーリング ビーチ プードル ルレット スクレ ジーディ ペチュニア イーゼル アブラカ センター ゆり根 アカシジミ クール プロシー キッコ スリー ラケナリ さびいろ しのだけ ハイ ブレー セリーグ タブロー オクラ ナビスト てくぼ ファンネル バイド 光の街 ジャロ ユーロ イギリス ストーリ 気合だ メンズリブ

社会学(しゃかいがく、英:sociology)とは、社会現象の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム(因果関係)を解明するための学問である。その研究対象は、行為、行動、相互作用といったミクロ・レベルのものから、家族、コミュニティなどの集団、組織、さらには、社会構造やその変動(社会変動)などマクロ・レベルに及ぶものまでさまざまである。思想史的に言えば、「同時代(史)を把握する認識・概念(コンセプト)」を作り出そうとする学問である。

社会学([仏] sociologie = [羅] socius + [希] logos)なる用語は、フランス革命後の混乱と動乱に満ちた初期近代フランスを生きたオーギュスト・コントによって作られた。コントは、当時の産業主義と合理主義を背景として、社会学とは、「秩序と進歩」に寄与する「社会物理学」であって、歴史学、心理学、経済学を統合する実証主義的な科学的研究でなければならないとした[1]。

このコントの思想は、その師であるサン・シモンに遡る。サン・シモンは、自然科学の方法を用いて社会的世界を全体的かつ統一的に説明する「社会生理学」の樹立を企てた。このなかで、サン・シモンは、フランス革命後の新社会の秩序を捉えるべく、その社会変動の流れを「産業主義」として提示した[2]。ここからコントはさらに、近代社会の構成原理として実証主義を提示し、産業ではなく科学をその中心に据えることになった。そしてその中心に社会学を位置づけたのである[3]。

コントらの発想は、ジョン・スチュアート・ミル、ハーバート・スペンサーなどに受け継がれ、実証主義の体系化がはかられていった。たとえば、スペンサーは、彼独自の進化論に基づいて、有機体システムとのアナロジーによって社会を超有機的「システム」と捉え、後の社会システム理論の先駆となる研究を行なった。

古典的理論の形成
実証主義の潮流のなかで始まった社会学であるが、19世紀末から20世紀にかけて、カール・マルクス、マックス・ウェーバー、エミール・デュルケーム、ゲオルク・ジンメル、ヴィルフレド・パレートらが、さまざまな立場から相次いで研究著作を発表した。その方法論、キー概念などは、かたちをかえながらその後の社会学に引き継がれており、この時期は、社会学の古典的理論の形成期にあたる。

デュルケムは、コントらの社会発展論(近代化論)を「社会分業論」として受け継ぎ、分業による連帯を「社会的事実の機能的なメカニズム」によるものとして説明する機能主義的な社会システム論を創始した。さらにデュルケムは、実証主義の伝統を継承し、自然科学の方法を社会科学へと拡大することを「社会学的方法の規準」の根底に据えた。しかし、実証主義は自然科学に対抗するような人文社会科学の方法論を打ち立てるものではなく、社会学の中心思想になることなく、ウェーバー、ジンメル、さらに後にはパーソンズらによって数々の批判を受けることになる。

ウェーバーは前世代の近代化論を「資本主義の精神」の理論として受け継ぎ、ジンメルは「社会分化」の理論として受け継いだ。両者は、ドイツ哲学の伝統に則り(自然科学一元論ではなく)新カント派的科学方法論に依拠し、方法論的個人主義を創始した。すなわち、ウェーバーの場合には理解社会学による行為理論を打ち立て、ジンメルの場合は、後のシンボリック相互作用論につながる形式社会学と生の哲学の視点から関係論的定式化を行ない、マクロ客観主義の限界を乗り越える方向へ進んだのである。

こうした、実証主義の伝統を引き継いだデュルケムの方法論的集合主義(社会実在論=社会的事実)と、主にウェーバーによる方法論的個人主義(社会唯名論)との対立は、後に、「社会システムの社会学」(マクロ社会学)と「社会的行為の社会学」(ミクロ社会学)といったかたちで引き継がれることになった。また、社会学の認識については、価値自由のルールにのっとったものであるべきか、それとも「精神科学」の伝統に準拠した人文学的性格のものであるべきかという、実証主義と反実証主義の対立が生まれたが、これも後に、たとえば、批判理論と構造主義的マルクス主義のアプローチといったかたちで繰り返されることになった。

2009年03月13日

トリーアのローマ遺跡群

トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂、聖母聖堂」は、ドイツの世界遺産の一つ。トリーアの町に残る古代ローマ時代以降の8件の遺跡や聖堂、および近隣のイゲルに残る遺跡1件がまとめて登録されている。
英語の綴りはユネスコ世界遺産センターによる登録名称、IDは世界遺産としての登録番号である。

円形劇場(Ampitheatre, ID 367-001)
円形劇場は、古代ローマ時代のアンフィテアトルムの遺跡である。現存する古代ローマ時代の円形劇場の中でも十指に入る規模を持つが、中世には採石場扱いをされていたため、損壊が進んでいた。

モーゼル川の橋(Moselle Bridge, ID 367-002)
モーゼル川の橋は、2世紀に建てられたローマ橋(Römerbrücke)のことである。

バルバラ浴場(Barbara Baths, ID 367-003)
バルバラの浴場は、ポルタ・ニグラや大聖堂からは少し南西に離れた場所にある浴場の遺構で、建造は少なくとも2世紀以前にまで遡る。

イゲルの円柱(Igel Column, ID 367-004)
イゲルはトリーア近隣の町で、高さ 23 mの円柱(墓碑)が残っている。イゲルの円柱は、その葬礼に関する芸術(funeral art)が評価されて、世界遺産に含められることになった[1]。

ポルタ・ニグラ(Porta Nigra, ID 367-005)
ポルタ・ニグラは、2世紀末に建てられた巨大な城門である。中世には聖堂に改築されたこともあった。この世界遺産には登録基準4項目が適用されているが、その内の基準(1)の適用は、専らこのポルタ・ニグラが評価されたことによる[2]。

皇帝浴場(Imperial Baths, ID 367-006)
皇帝浴場は、コンスタンティヌス帝の時代につくられた巨大浴場で、カラカラ浴場などに次いで、古代ローマ時代の共同浴場としては屈指の規模を持っている。

アウラ・パラティナ / バシリカ(Aula Palatina (Basilica), ID 367-007)
アウラ・パラティナは、コンスタンティヌス帝の時代に建てられた宮殿である。度々の改築のあと、建造当時の姿に戻す工事などが行われた。

大聖堂(Cathedral, ID 367-008)
トリーアの大聖堂は、ドイツ最古の大聖堂にしてこの都市の司教座聖堂である。全体の登録名にもあるように、聖ペテロ大聖堂とも呼ばれる。建築様式は時代ごとの付け足しの結果、様々な様式が混ざり合っている。
カツサン オーダー メルトン キートーン 市田柿 オーララ ミルク 総合山風 スズラン レングス もくず フリル ジスト カッター チュニジ 紅の空 ピンプリ 凪笛 蜃気楼 除の鐘 パトロール オーバー リンター ダイア ヒプノ フィート ズーム ミニコミ 総合大河 マシン トッシュ テトラード フラワー シーエス ラカイト フシグロ トラッ オパール ネービー リスク ザーボード ボエポン ダイジ マター スケール セクト アスン アサイン チューン アース

聖母聖堂(Church of Our Lady (Liebfrauenkirche), ID 367-009)
聖母聖堂は、1235年から1260年にかけて建てられたゴシック様式の聖堂である。ドイツに残るこの様式の聖堂としては最古の部類に属する。かつてこの聖堂にあった彫刻群の一部は、トリーアの司教座博物館に移されている。

2009年02月24日

東京ミュウミュウ

桃宮いちごは同級生の青山君のことが好きな中学生。いちごは念願の青山君とのデート中に遭遇した地震の直後、数人の女の子と光に包まれ、ネコが自分の体に入るかのような感覚に襲われる。それ以降、眠気にいつも襲われたり、体が異様に身軽になったり、魚を見るとくわえてしまうようになってしまったいちご。その不思議さに悩むいちごを心配してくれた青山君に告白しようとしたら、今度は目の前に巨大なネズミが現れて襲い掛かる。そこに突然現れた青年に「たたかえ」と言われたいちごは、「ミュウミュウストロベリー メタモルフォーゼ!」と言って猫耳としっぽをつけた姿に変身してしまった。

実はその青年・白金稜は、地球の動物達に寄生して生物兵器「キメラアニマ」に変えようとしているエイリアンに対抗するため、レッド・データ・アニマルの遺伝子を打ち込んで死滅させる「μプロジェクト」を赤坂圭一郎と共に進めていた。しかし地震によって誤っていちご達にそれが打ち込まれてしまい、いちごはイリオモテヤマネコの遺伝子と合体し、生物兵器(キマイラ)「ミュウミュウ」なる正義の味方になってしまったのだった。

キメラアニマを倒したいちごは白金と赤坂からエイリアンの目的が地球侵略であるとともに、ほかに4人の仲間がいることを知らされる。そこでいちごはエイリアンと戦うために他の仲間を探しつつ、情報収集のために白金たちのアジトである「カフェ ミュウミュウ」でウェイトレスとして働くことになった。だが、いちごは心に負担がかかると野性の本能でアニマル化してしまうようになってしまい、エイリアンを全滅させて自身の能力が退化するまで青山君に告白することができなくなってしまっていたのだった。

東京ミュウミュウあ・ら・もーど
エイリアンとの事件が一段落してミュウミュウはその使命を終え、能力も退化しはじめていた。いちごは青山を追ってイギリスへ留学し、残った4人がたまに現れるキメラアニマの残党を処理するだけの、平和な日々が戻ってきた。しかしμプロジェクトの研究を続けていた白金が、またもや誤ってアマミノクロウサギとアンデスヤマネコのDNAを白雪ベリーに打ち込んでしまい、新たなミュウミュウが誕生する。

ぷちみゅうみゅう
ミュウミュウの5人(後にりんご・ベリーも加わる)が半獣人世界の幼稚園児という設定の、パラレルワールド的短編作品。おもに『なかよし』増刊に掲載された。

Tokyo黒猫娘
本作のプロトタイプとも言うべき読切作品。コミックス4巻巻末に収録。女子中学生安曇緋姫(あずみ ひめ)が宇宙犯罪捜査官に任命されてエイリアンと戦う。彼女の変身中の姿は基本的にはミュウイチゴの色替で、髪やスーツの色は黒になっている。

ミュウミュウ
基本的にミュウミュウの苗字には「色」、名前には「植物(食用になる)」の名前が入っている。

桃宮 いちご(ももみや いちご / ミュウイチゴ)
声 - 中島沙樹
原作第1部、アニメの主人公。中学1年生(以下、年齢は注釈がなければ第1部当時)。身長152cm。3月15日(1=いち、5=ご)生まれのO型。
桃宮いちご
恋に戦いに奔走する明るい女の子。少々ドジっ子で天然ボケの慌てん坊だが、カフェ内では物凄い働き者で、戦いとなると一気にリーダーっぷりを発揮する。その明るさと優しさはどんな凍てついた心も溶かす。
ドキドキしたりビックリすると猫耳と猫尻尾が出てしまい、更にドキドキすると完全に猫化してしまうが、誰かとキスすると元に戻る。
普段の髪型はツインテールかストレートのショートヘアであることが多い。
家族構成は両親のみ。一人っ子であるため、兄弟はいない。
第1部で波乱の恋模様を展開した末に「青山君」こと雅也(後述)とめでたく結ばれた。第2部では雅也と共に留学に行っていたイギリスから帰ってきて途中参戦。力が弱まったので(しかもミュウミュウでいられるのは3分…のはずがラストの方ではいつまでもミュウミュウでいられた)、ベリーに主人公とリーダーの座を譲ったものの、まだまだ大きな活躍を見せ、またベリーに恋のアドバイスもしてあげるなど先輩ぶりを発揮している。
ミュウイチゴ
イリオモテヤマネコのDNAが入っている。アザの位置は右太ももの内側の、股の付け根。
イメージカラーはピンク。変身すると語尾にやたらと「?にゃん」が付く。
髪形は原作ではツインテールのままの時もあったが、アニメではウェーブのかかったセミロングヘアに統一されている。 また髪の色も、原作では変身前・変身後ともにピンクだったが、アニメでは変身前が赤茶なのに対し、変身後はピンクに変わっている。瞳の色も変身前が灰色に近いダークブラウン(または黒)からマゼンタ系の濃いピンクに変化する(瞳の色は、他のミュウミュウではミュウプリンを除き、イメージカラーにそったものに変化するのみ)。
武器はストロベルベル(他のミュウミュウの武器と合体させるとバージョンアップする)で、発動する技は『リボーンストロベリーチェック』(バージョンアップすると『リボーンストロベリーヒーリング』等)。 
PSゲームのみ、二段変身があった。二段変身後はスカート部分が変化し、髪形がツインテールになっている。また、手袋が少々長いものになる。しかし、強さにあまり変わらない。
藍沢 みんと(あいざわ みんと / ミュウミント)
声 - かかずゆみ
ミュウミュウの仲間。中学1年生。身長145cm。10月3日(10=と、3=みん)生まれのA型。
藍沢財閥のお嬢様。少しキツい口調(いちごに言わせると「かなりキツい」)と高飛車な性格で、「?ですわ」が口癖。いわゆるツンデレ。カフェ内では働き者のいちごとは対照的にいつもさぼってばかりでよく文句を言われている。だが、根は優しくて仲間思いで、いちごのことは特に大切に思っている(が、素直じゃないので普段口に出す事はない)。
少々野次馬根性が強い。特技はバレエで、戦闘時はその身軽さが十分生かされている。原作では日本舞踊も習っている。
たびたび登場する愛犬ミッキーとは大の仲良し。アニメ第21話ではざくろが指示で、ミッキーが囮になって、東京ミュウミュウを脱退しようとしたみんとの心を動かした。
普段の髪形はシニヨン付きツインテール(お団子2つ)にしているが、髪を下ろすとウェーブのかかったショートヘアになる。髪を下ろした姿は作中にもたびたび登場している。
家族構成は両親と兄一人。だが、両親と会う機会があまりなく、その分兄が大好きなブラコン(ただし兄は原作には登場していない)。
ざくろに一目惚れ (?) してからは、ざくろを「おねーさま」と呼んで憧れている。
また、第2部でもベリーを的確に援護していた。
ミュウミント
ノドジロルリインコのDNAが入っている。アザの位置は背中(肩胛骨の間)。
イメージカラーは水色。
変身によって、髪の色は変身前のブルーグレーから、インディゴブルーに変化する。髪形は通常変化しないが、アニメにてウェーブのかかったショートヘアからシニヨン付きツインテールに変化したことが一度だけある。
武器はミントーンアローで、発動する技は『リボーンミントエコー』。
碧川 れたす(みどりかわ れたす / ミュウレタス)
声 - 佐久間紅美
ミュウミュウの仲間。中学2年生。身長161cm。4月29日(みどりの日)生まれのB型。
碧川れたす
ミュウミュウの一人になるまではグループのパシリで、グループから陰湿なイジメを受けていた。そのため、情緒不安定な面があり、最初の頃は力を暴走させて、中学内での怪談にもなっていた。いちごとの出会いにより、暴走は止まった。
おどおどした性格で照れ屋。人付き合いが苦手。しかし性格は優しく、それでいて芯が強い。常に引っ込み思案であるが、キレると手に負えなくなるタイプ。
眼鏡っ子で、ギャグフェイスの時は眼鏡レンズが真っ白になる「お約束モード」がある。裸眼の視力はかなり低く、全てがぼやけて見えにくい。眼鏡をはずすと数字の「3」を二つ並べたような眼であることが多いが、はずしても普通の目のままだったこともある。ミュウレタスに変身すると眼鏡は無くなるが、視力は一気に向上する。
水が苦手でカナヅチだが、ミュウレタスになると泳げるようになる(後述)。
家族構成は両親と弟一人。本人も含めて、家族全員が眼鏡を着用している。
豪華客船に乗った時に優しくしてくれた白金がちょっと気になっていたようだが、その後の行方については語られていない。
ミュウレタス
イルカの仲間であるスナメリのDNAが入っている。アザの位置は胸元(鎖骨の下辺り)。
イメージカラーは緑。
変身によって髪形は2本の三つ編みおさげからひとつ結び(後ろ髪のほとんどを長い髪飾りで止める)へ変化、色は変身前の緑から、明るい黄緑に変化する。瞳の色は緑から髪よりやや濃い黄緑に変化する。
武器はレタスタネットで、発動する技は『リボーンレタスラッシュ』。
水中では人魚のように下半身がスナメリに変形する。このため水中戦を含め、行動範囲が広がる。
黄 歩鈴(ふぉん ぷりん / ミュウプリン)
声 - 望月久代
ミュウミュウの仲間。小学6年生。身長138cm。8月7日生まれのO型。
黄歩鈴
元気一杯でやんちゃな、猿みたいな女の子。「?なのだ」口調。メンバー最年少であり、メンバーのことを、必ず「○○○のお姉ちゃん」・「○○○のお兄ちゃん」(「いちごのお姉ちゃん」・「白金のお兄ちゃん」など)と呼ぶ。
パンクさせたセミロングを4つ三つ編みにしている。
超身軽で、大道芸が得意。よくカフェの皿で皿回しをしては割りまくっている。惚れ薬や眠りのお香などを持っている。お金好きでもある(初変身時の少し前まで、動物園でサルたちと芸を見せて「おひねりちょうだい」をやっていた)。
家族構成は、中国系統の家らしく、父は世界中を旅する格闘家。母は数年前病気で倒れ、入院先の病院で他界した。兄弟姉妹が多く(6人いるなかで一番上)、長女なので実は面倒見が良い。
第1部ではその持ち前の元気と無邪気さでタルトの心を揺り動かし、良い感じになった。
ちなみに歩鈴の名前には、例外的に植物の名前が入っていない。
ミュウプリン
サルの仲間であるゴールデンライオンタマリンのDNAが入っている(本人は“ゴールデンライオンタマリンのDHA”と勘違いしていた)。アザの位置は額。
イメージカラーは黄色。
変身によって髪形は変化しないが、髪の色は変身前のゴールデンブラウンからレモンイエローに変化する。瞳の色は変身前と同じライトブラウンのままである。
武器はプリングリングで、発動する技は『リボーンプリングリングインフェルノ』(原作では「リボーン」の部分がない)。
藤原 ざくろ(ふじわら ざくろ / ミュウザクロ)
声 - 野田順子
ミュウミュウの仲間。中学3年生。身長173cm。9月6日(ざくろ=96)生まれのAB型。
スチック プロパ セッター スロープ サブセ ソンソ キラウエ くるくる デイユース ニクロム ルーガル ドードー トリコロ マリン ハイチ キュー ナビユー ワンダラー カバレ ファイト さやえん カスミソウ グラフ ラードツ リング シンプル パイロー サイン ワーク ワイヤ スペルラ ファイラー スペアイト ナビドウ クトリン スープ ドット スイート 弥生姫 クレド タフネス ダーク フレーバ アッラー フロー リキッド クチュリ フォア ザンス ファイブ

藤原ざくろ
とてもクールで冷静な性格のモデル。
仕事中は穏やかで笑顔が素敵な感じを見せているが、実は冷徹な性格で人付き合いに関しては淡白で愛想がなく、仲間もうっとうしいと思うほどであった(一般的にいう一匹狼)。他のミュウミュウ達の必死の行動によって無事仲間入りをしてからは、頼りになる強いお姉さんキャラになる。
英語を含む6ヶ国語を話すことができる。
家族構成は両親がいるが、現在別居中のため一人暮らし。おそらく一人っ子と思われる(作中に兄弟のいる描写が無いため)。
みんとに一方的に「おねーさま」と呼ばれて憧れられているが、当の本人はまんざらでもないらしい。
なお、後ろ髪の長さはアニメと原作では異なっており、原作では胸元までだったが、アニメではウエストまである。
ミュウザクロ
ハイイロオオカミのDNAが入っている。アザの位置はおへその周り。
イメージカラーは紫。
変身によって髪形は変化しないが、髪の色は変身前のパープルからライトパープルに変化する。瞳は変身前も変身後も青みがかかったパープル。
武器はザクロスホイップで、発動する技は『リボーンザクロスピュア』。
赤井 りんご(あかい りんご / ミュウリンゴ)
声 - 川田妙子
PSゲーム(と、ぷちみゅうみゅう)にのみ登場したミュウミュウ。7月6日生まれのO型。
赤井りんご
歩鈴と同じ小学6年生で、ある島に兄の赤井真潮と共に住んでおり、兄からは大切にされている。「?なのぉ」口調でぼんやりのほほんとした性格。いちごに懐いている。夜間の散歩が趣味で動物を分け隔てなく愛している。
フンボルトペンギンのユキちゃんと友達。
家族構成は兄一人。母は既に他界。父に関しては不明。
PSゲームでは終わった後でもミュウミュウの一員として続けることになっていたが、これはゲームだけのストーリーのため、原作の第1部・第2部とアニメには登場しない。
ミュウリンゴ
母親の形見であるペンダントの力を借りて、先述したユキちゃんと合体してミュウミュウになるため、いちごたちと違いアザは持たない。
イメージカラーは赤。
武器はアップルティック。技名は『リボーンアップルポップ』(攻撃技ではなく回復技)。
白雪 ベリー(しらゆき べりー / ミュウベリー)
第2部から登場する、第2部の主人公。中学1年生(第2部。学年は歩鈴と同じ)。1月5日生まれのO型。
白雪ベリー
制服に憧れて白金台にある私立女子校に進学するも、お嬢様学校だったため、クラスでは猫を被っている。
決めゼリフの漢字が平仮名になっているあたりに幼さがうかがえる。
日本とフランスのクォーター(父方・母方のどちらかは不明だが、「祖父がフランス人」)。性格は明るく元気で前向き、少々甘えん坊。いきなりミュウミュウになってしまい戸惑うが、他のミュウミュウやいちごの助けもあってなんとかリーダーとしての務めを果たしている。ウサ耳に猫尻尾。フランス語が話せる。ケーキが好き。
家族構成は父のみ確認。
ふとした事故で会った白金にちょっと惚れるが、最後にはいつも傍にいて守ってくれた侑と結ばれる。
いちご同様通常時でも、猫尻尾が出たことがある。さらに、完全に獣化してしまったこともあったが、その時の姿は猫と兎の合体動物である(「Wish たった一つの願いごと」のおまけにて)。
原作第1部の最終回の最後の部分で姿を見せている(アニメには登場していない)。
ミュウベリー
アマミノクロウサギとアンデスヤマネコのDNAが入っている。アザの位置は不明。
イメージカラーは白。変身すると語尾にやたらと「?みゃ」が付く。
武器はラブベリーロッド。発動する技は『リボーンラブベリーチェック』(ミュウイチゴと組んだ『リボーンダブルベリーチェック』という技もある)。

2009年02月08日

シャルル・ド・モンブラン

シャルル・フェルディナン・カミーユ・ヒスラン・デカントン・ド・モンブラン、モンブラン伯爵にして、インゲルムンステル男爵( Count Charles Ferdinand Camille Ghislain Descantons de Montblanc, Baron d'Ingelmunster、1833年5月11日 - 1894年1月22日)は、フランス/ベルギーの貴族、実業家、外交官、日本のお雇い外国人。日本では「白山伯」(はくざんはく、ペーサンはく[1]、モンブラン=白い山の伯爵から)の名で知られた。
ファナテ ピータ ロール ネット ズック リゾラバ 君の瞳 バラブル ハンズ グラジ カナル ウェア ポテト イオン トッピグ タイペイ ライボー ナビスカ セリング サーマル リシン ぐんじょ かぼちゃ ワラビ ジェトロ 中葉春菊 てつむぎ スケボー ヨセミ カノ最新 カーゴ たかのす クチン マツバ 紅葉坂 リミット セイウチ 曼珠沙華 ブレード ワンマ イエロー スクリ キラー ヒュー フリージ スチナ さいさく パピル ライク キッズ

1833年、パリでシャルル・アルベリック・クレマン・デカントン・ド・モンブラン(1785年 - 1861年)の長男として生まれる。[2](1832年にベルギーで生まれたとする異説もある。[3])。母はヴィルジニ・ルイズ・ロック・ド・モンガイヤール(1812年 - 1889年)。モンブラン家の発祥は定かでないが、南仏の出身ではないかといわれる。父のシャルル・アルベリックは、ベルギーのフランデレン地域ウェスト=フランデレン州にあるインゲルムンステル(en:Ingelmunster)男爵領を、ドイツ人領主オットー・フォン・ブロートから譲られ、ベルギーの男爵となった。アンシャン・レジーム期のフランス軍において、ブロート家(en:Von Plotho)はモンブラン家の主筋であり、直系の後継者がいなくなったために譲渡を受けたものだが、プロート家のドイツの一族からは抗議があったといわれる。前後関係はわからないが、シャルル・アルベリックはフランスの伯爵位をも得ていて、ベルギーの男爵であり、フランスの伯爵でもあった。父母がフランス人であったため、モンブラン自身はフランスで育ち、国籍もフランスだったが[4]、弟たちはベルギー国籍となった。1854年(嘉永7年)アメリカ合衆国のペリー艦隊が日本を開国させたというニュースが流れるや、日本に対する興味を持ち、渡航を熱望するようになる。

1858年(安政5年)、フランス特命全権使節として清に派遣されたグロ男爵に随行し、9月に初めて来日。日仏通商条約の締結後、グロ男爵と別れて外務省から依頼された学術調査のためフィリピンに渡航した。その後フランスへ帰国し、父の死を看取る。

1862年(文久2年)、再び日本を訪れたモンブランは横浜に滞在し、公使のデュシェーヌ・ド・ベルクールと交流する。帰国に際し私設秘書として斎藤健次郎を伴い、日本語や日本文化の研究に勤しんだ。1863年末、江戸幕府が孝明天皇の強い攘夷の要望から横浜を鎖港するために外国奉行池田長発を正使とする交渉団をフランスへ派遣した際には、これと積極的に接触し、使節団のパリ見学やフランス政府要人との会談を斡旋した。また1865年(慶応元年)に再び派遣された外国奉行柴田剛中らが渡仏した際にも接触し[5]、日本とベルギーとの通商条約締結を勧めたが、モンブランのお仕着せがましい態度ゆえか、柴田からはあまり信用されなかった[6]。

薩摩藩との接触とパリ万博
同じ頃、薩摩藩の密航留学生が新納久脩・五代友厚・松木弘安らに伴われ、ロンドンに派遣されていた。幕府使節との接触が不調に終わったモンブランは、斎藤を伴ってイギリスへ渡り、薩摩藩留学団に接触し、その世話役を買って出た。さらに新納・五代に貿易商社設立の話を持ちかけている。富国強兵・殖産興業を目指していた薩摩藩はこの申し入れを喜び、早速予備交渉を行った。五代らが各国の視察のため、大陸に渡った際には、モンブラン邸も訪れ、ともに狩りなどを楽しんでいる。慶応元年8月25日(1865年10月15日)にはブリュッセルにおいてモンブランと新納・五代との間で12箇条からなる貿易商社設立の契約書が交換された。その直後、モンブランはパリで開催された地理学協会で、「日本は天皇をいただく諸侯連合で、諸国が幕府と条約を結んだのはまちがいだ」というような、薩摩藩の主張にそった発表をしている。翌年には輸入品に関する契約が更新され、薩摩藩主島津茂久からの商社設立内約の礼状がモンブランに贈られている。

1867年パリ万博(ル・モンド紙)
パリ万博における出展(ル・モンド)こうしたモンブランと薩摩藩との交流にともない、1867年(慶応3年)にパリで行われた万国博覧会においては、薩摩藩はモンブランを代理人として、幕府とは別名義の出展者として参加、出品することとなった。家老岩下方平は薩摩藩および琉球王国(当時、事実上薩摩藩の支配下にあった)の全権としてパリに派遣され、モンブランとともに万博の準備を進めたが、そこへ幕府から派遣された使節徳川昭武(のちの水戸藩主。将軍徳川慶喜の弟)一行が到着して薩摩藩の出展に大いに驚き、随行した外国奉行向山一履、支配組頭田辺太一らは厳しく抗議し、特に出展者名から「琉球」の二文字と「丸に十字(島津家の家紋)」の旗章を削ること、および「琉球国陛下松平修理大夫源茂久」の名を「松平修理大夫」のみに改めることを求めた。薩摩藩代理人のモンブランは岩下とともに交渉し、「薩摩太守の政府」の名前は譲れないとして談判し、結局幕府側は「大君政府」、薩摩藩側は「薩摩太守の政府」とし、ともに日の丸を掲げることで妥協となった。モンブランはさらにパリの有力紙『フィガロ』『デバ』『ル・タン』といった新聞に、すでに地理学会で発表していた「日本は絶対君主としての徳川将軍が治める国ではなく、ドイツと同様各地の大名が林立する領邦国家であり、徳川家といえども一大名に過ぎない」との論調の記事を掲載させるなど、交渉を有利に導くべく工作した[7]。この年、日本を再訪したモンブランは薩摩藩から軍制改革顧問に招聘され、鹿児島に滞在するなど、薩摩藩との密着度を深めていく。

維新前後
しかし、薩摩藩は薩英戦争後、茂久の父・島津久光の方針によりイギリス式兵制を採用したり、英国公使ハリー・パークスとの交流から、親英政策を採っており、フランス(ベルギー)人であるモンブランに過剰に肩入れするのは危険と見られていた。英国からもフランス人の軍制顧問任命に難色を示され、薩摩藩留学生の吉田清成・鮫島尚信・森有礼らもモンブランを危険視する建言が藩庁へ提出されていた。

堺事件(ル・モンド1868年)同年、徳川慶喜が大政奉還。それに対し朝廷からは王政復古の大号令が下され、小御所会議で徳川家領土の返還が決定されるなど、流動的な政局が続くが、薩摩藩要路の大久保利通は新政権の諸外国への承認獲得と外交の継続宣言をすべく、モンブランと松木弘安(寺島宗則)に、新政権から諸外国への通達詔書を作成させている。翌慶応4年(1868年)初め鳥羽・伏見の戦いで新政府が旧幕府軍を破り、優位に立つと、新政府に従う諸藩も増え、新たな日本の中央政権として認識されるようになる。そんな中起きた外国人殺傷事件である神戸事件(1月11日)や堺事件(2月15日)においては、モンブランは新政府の外交顧問格として、外国事務局判事の五代友厚を支え、パークスやレオン・ロッシュ(フランス公使)との交渉を担うなど、京都において新政府の外交を助け。これらの対処により、明治天皇の各国公使謁見が実現することになった[12]。

日本総領事任命・解任
このような功績から新政府の外国官知事伊達宗城(宇和島藩主)は、江戸に駐在していたフランス公使ロッシュに対し、モンブランをパリの日本公務弁理職(総領事)に任ずると通知している(旧幕府が任命していた名誉総領事フリューリ・エラールは解任)。その後モンブランは大阪・神戸間に電信を架設する計画を立て、新政府に願書を提出しているが、すでに新政府は自ら架設する計画があり、機械も英国に発注していたため、モンブラン提案を断った。明治2年(1869年)、モンブランは鹿児島で島津忠義(茂久)に謁見した後、今度は東京において、樺太の領有権問題[13]や宗教問題(浦上弾圧事件により日本が諸外国から抗議されたのを受けたもの)など、新政府の外交に助言をよせたが、ヨーロッパにいて直接交渉の必要があり、年末に、留学生の前田正名と御堀耕助(大田市之進)を伴ってフランスへ帰国した。

パリに到着後、モンブランはナポレオン3世の承認を受け、異例の日本総領事となる。モンブランはパリのティヴォリ街8番地の自宅を日本総領事館(日本公務弁理職事務局)とし、前田を住まわせるとともに領事任務に当たった。また日本のキリシタン弾圧政策の弁明につとめるとともに、日露国交交渉に直接乗り出そうとしたが、フランス人であったため、日本外交の代表権を持つ公使就任をフランス政府に拒まれ、実現しなかった。普仏戦争(1870年 - 1871年)の勃発に伴い、プロイセン軍の包囲下パリ・コミューンが成立するなど、パリが混乱に陥ると、日本政府はモンブランを解任し、新たに鮫島尚信を弁務使として派遣することを決定。1870年10月28日付けで解任されたモンブランは、その後パリにあって同好の士と共に日本文化研究協会(Société des études japonaises)を作り、フランスにおける日本語・日本文化研究を推進した。著書に『日本事情』や、『鳩翁道話』(柴田鳩翁)のフランス語訳などがある。その後も西園寺公望ら、日本からの留学生と交流した。1894年1月、パリにおいて独身のまま死去。名誉欲や虚栄心が強く大言壮語も多かったため、しばしば敬遠されたり山師扱いされたが、近代初期の日本外交において独特な活躍をみせた人物である。

2009年01月23日

ディメンショナルコンバーターを腕の一振りで切断

Dr.リーガル(ドクター - ) - 声優:中多和宏
ダークチップシンジケート・ネビュラの首謀者。
レーザーマン - 声優:中多和宏
リーガルのナビ。様々なレーザーを操る。距離が離れたディメンショナルコンバーターを腕の一振りで切断する等、通常のナビとはどこか異なる能力を見せる(シェードマンには「少なくともダークロイドのような下等な存在でないことは確か」と語る)。
大園ゆりこ(おおぞの ゆりこ) - 声優:日高のり子
まりこの双子の妹。リーガルと共にワイリーの元から逃亡し、ネビュラを組織する。
ニードルマン - 声優:土屋利秀
ゆりこのナビ。全身からトゲを放出して攻撃する。
マニャック フォーク 苺姫 夕べの鐘 オロシ メイド セル チウム スケート オカラヌス ジャグ スマイル 平安夢 リッジ ブング トランプ クション カセット スピリ ラフォーン シーダ トリプル ビロード ウエルト リング ネゲブ あかぼり ピグミー ラッフル シンカー リスク だいふく マシン バルク フリスビー キエフ ミルミル マルキ タッチ セグメント ネブラス セニョー ハマス とりゅふ アップ リヤス ラピス べにかば メモ スキーデ

ダークロイド
ダークロイドは全て自立型であり、特定のオペレーターを持たない。

シェードマン
声:中村秀利
吸血鬼型ダークロイド。蝙蝠のような超音波による攻撃をする。ダークロイドのリーダー的存在で、人間を滅ぼすためリーガルと共謀するも、ダークチップを餌に仲間達が次々とネビュラに寝返ったことで失墜、最終的にCFレーザーマンに倒される。
バブルマン
声:芝原チヤコ
泡を操るダークロイド。語尾に「プク」をつける。ダークチップを使わなかったため、結果ネビュラに寝返らずシェードマンに最後まで付き従った。シェードマンを尊敬しており、ダークロイド最後の生き残りとなってからはその遺志を継ぎ、世界をダークロイドの支配下に置くため一人細々と活動する。同じ水属性のアクアマンとアイスマンとは友達同士で、仲がいい。報酬代としてもらったダークチップを使わずとっていたが下っ端兵に全て持ってかれた。
ビーストマン
声:松本大
獣の姿をしたダークロイド。鋭い爪による攻撃を得意とし、動きも素早い。ダークチップの乱用による最初の犠牲者となる。
フラッシュマン
声:保村真
光と電撃を操るダークロイド。自分はダークチップに取り込まれないと豪語するも、結局は禁断症状が発現し、その見苦しさからシェードマンにデリートされた。
ビデオマン
声:西村知道
ビデオテープを撒きつけたり、敵を録画再生したりと、ビデオ特有の攻撃方法を行うダークロイド。
デザートマン
声:梁田清之
砂を操るダークロイド。ダークチップによる禁断症状で弱っていた所をネット警察に捕らえられてしまい、シェードマンの命令で自分を消す為にやってきたフラッシュマンの手によってデリートされる。
プラントマン
声:吉野裕行
植物を操るダークロイド。ゲーム版と違い水属性の攻撃も繰り出す。一度はヒートマンを圧倒するが、それのデータから復元されたファイアマンとファイアソウルを発現させたロックマンに倒される。
スパークマン
声:風間勇刀
電気を操るダークロイド。発する閃光で相手の影を作り出すこともできる。
バーナーマン
声:三木眞一郎
火を操るダークロイド。
コールドマン
声:川田紳司
氷と冷気を操るダークロイド。「ヒュ?」が口癖。
ボウルマン
声:大川透
電脳世界いちのボウリングの達人で、シェードマンに洗脳されダークロイド化。ボウリングの球とピンによる攻撃を行う他、電脳世界のボウリングレーンと現実世界をリンクさせ、ボウリングの要領で建築物を破壊する。
ソードマン
声:(赤)稲田徹、(青)桐井大介、(黄)最上嗣生
剣の形をしたダークロイド。三本の剣が刺さっており、それぞれが人格を持つ。
グラビティマン
声:下山吉光
重力を操るダークロイド。その力で空間を捻じ曲げ、ロックバスター等の弾道を逸らす。なぜか機械的な言葉遣いで話す。
スターマン
声:氷青
流星と隕石を操るダークロイド。
ブライトマン
声:小西克幸
光を操るダークロイド。元々はラウルの友人のナビだったが、ダークチップの影響でダークロイド化が進行してしまった。

その他
アネッタ
声:釘宮理恵
いつも元気で明るい少女。実はネビュラの手先で、自分と友達だったナビをデリートした炎山に復讐する為に近づく。事件解決後は炎山大好き少女に。数十桁の数字を一瞬で記憶するという意外な特技を持つ。また彼女のつくる料理は、見た目は凄まじいが、なぜか味はマトモ。
シルク
声:夏樹リオ
アネッタと友達のナビ。炎山のナビ、ブルースにデリートされた。しかしそれはダークチップに侵食された自分の暴走を止めるため、彼女自身がブルースに頼んだことであった。
城戸舟子(きど しゅうこ)
声:能登麻美子
自分を不幸だと思い込んでいる少女。日暮の説得で立ち直った後はヒグレヤのアルバイトになる。双子の弟達と暮らす。
アクアマン
声:千葉千恵巳
舟子のナビ。語尾に「ぴゅ」をつけるのが特徴。性格が幼く、一度泣き出すとその涙で電脳世界が水没してしまう。同じ水属性のアイスマンとバブルマンとは友達同士で、仲がいい。
白泉たま子(しらいずみ たまこ)
声:本田貴子
おみやげ屋を営んでいる姉御肌の女性。ネット勝負に命を賭ける。
メタルマン
声:千葉進歩
たま子のナビ。鋼鉄の拳をもち、その一撃は強力。鋼鉄の刃をブーメランのように投げたり、ミサイルの発射も可能。
五十嵐ラン(いがらし ラン)
声:久川綾
南の島、シーサーアイランドの巫女。いつもは丁寧語だが酒に弱く、少しでも飲んでしまうといつもの丁寧語はどこかへ行ってしまい、暴走しだす。
ウインドマン
声:咲野俊介
五十嵐ランのナビ。風を操る。
匠転助(たくみ てんすけ)
声:広瀬正志
コマ職人。職人気質で頑固。孫と遊ぶためにネットバトルをするようになる。
タップマン
声:緒方賢一
転助のナビ。コマを扱う老人ナビ。
ジャンクマン
声:三宅健太
放棄された人工衛星の電脳世界に偶然生まれた自律型ナビ。宇宙空間に漂う孤独からか、宇宙に漂う鉄屑を「友達」として引き寄せる。後にロックマン達とも友達となり、ネビュラとの戦いに協力する。
ミストマン
声優:小杉十郎太
主の命令で、ある電脳世界を守っているナビ。霧を操って攻撃する。ランプの持つ者の命令に従わざるを得ないため、ランプの行方次第で敵にも味方にもなりうる。

2009年01月16日

ヤマタイカ


リーゼント ミニスト 検索うり きえいよこ マンテ コニャック デュレ ピッコロ サイレン ブリストル カレワラ タワー国内 システ はけご フィット 砂時計 ドレート シェフレラ リラキ 純潔 プランナ モダニスト オフサイド サステナ チリソース フクシア ブルー タグボ ゴスペル ラシャ テキント ファロス うばざくら パンドラ エレガ チャネリ オート 紅梅 チキク イオ次 ブラック ドアチェーン パドル ローラシ かいこう 亀王 クロノ タックル マンス インワン
『ヤマタイカ』は、星野之宣による伝奇・歴史を基礎としたSF漫画作品。

本作は1983年にヤングジャンプで連載中断した『ヤマトの火』のリライト作品として『月刊コミックトム』(潮出版社)で1986年11月号から1991年4月号まで連載された。単行本は1987年9月 - 1991年8月に潮出版社より全6巻として発行され、1997年6月 - 7月に潮ビジュアル文庫全5巻として発行された。2006年12月より、光文社から『ヤマタイカ』と『ヤマトの火』を収録したシリーズ「レジェンド オブ ヤマタイカ」が刊行されている。

この作品では、日本人のルーツ(根源)を東南アジアから渡ってきた火の民族である縄文人と、大陸から渡来した日の民族である弥生人とし、西暦300年ころに両者の対立があり、九州を中心としていた火の民族の邪馬台国は南方と北方に追いやられ、九州を制圧した日の民族が大和国へ遷都し、ヤマト王権になったと設定している。

邪馬台国九州説を基本として、単行本巻末に記された膨大な参考文献に基づく『古事記』・『日本書紀』の解釈などの民俗学的考察が繰り広げられている。

民俗学的考察は緻密である反面、主人公が超能力を使うなどの設定でSFに分類されてしまうこと、掲載誌が比較的メジャーではなかったことなどから人気作とはならなかったが、一部のファンの間では高く評価された作品である。

1992年、第23回星雲賞コミック部門受賞。

注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。 →[記述をスキップ]

あらすじ
20世紀後半の沖縄県久高島に1700年の時を越えて卑弥呼の後継者が出現し、卑弥呼から受け継いだ銅鐸「オモイマツカネ」により増幅される超能力を使い、「火の民族」の祭り「ヤマタイカ」を画策する。日本中の火山の噴火を伴う「ヤマタイカ」による秩序の混乱を嫌う「日の民族」の法力僧四天王の妨害が始まり、「ヤマタイカ」に必要な、失われた超巨大銅鐸「オモイカネ」を捜し求める火の民族と、日の民族の対立は九州から出雲国を経て伊勢国の朝熊山へ移動する。朝熊山での戦いののち、火の民族は「オモイカネ」が奈良の大仏にされていたことに気付く。双方の決戦の末、火の民族は奈良の大仏を「オモイカネ」へと鋳造し復活させることに成功、それを手に入て沖縄へと引き上げ、一方、四天王は残り一人となった。(以上、東遷編)

火の民族はまず、「オモイカネ」の力で大日本帝国海軍の戦艦「大和」を海底から浮上させ、「ヤマタイカ」祭りの依代にしたてる。復活した無人の戦艦「ヤマト」は、火の民族の無意識の意志に反応して、自ら沖縄の在日米軍基地を攻撃し、アメリカ第七艦隊と交戦しつつ、太平洋を東進する。

火の民族は、その動乱に揺れる沖縄から遂に「ヤマタイカ」を開始した。 相次ぐ火山の噴火の混乱と戦艦「ヤマト」の無敵の活躍は、火の民族に眠っていた魂を揺さぶり、彼らは次々と「ヤマタイカ」へと合流していく。沖縄からはじまった「ヤマタイカ」は九州から本州を北上。また火の民族は、同胞であるアイヌ、蝦夷の民がいる北海道、東北からも、関東へと南下する「ヤマタイカ」を開始せんとする。

一方、日の民族は「オモイカネ」に対抗する超巨大鉄鐸「オモイクロガネ」を作って火山噴火を抑えるとともに、「火を退ける剣」である熱田神宮の神器、「天の叢雲の剣」を盗み出し「ヤマタイカ」阻止を計る。古代に火の民族を征服した日本武尊の霊力を得た日の民族は、勝敗の要となる富士山の噴火阻止に成功。次いで東北地方の火山噴火を阻止していくが、死に臨んだ古代の卑弥呼の最後の抵抗により、南の「ヤマタイカ」北上阻止に失敗。さらに岩木山での火の民族との対決に敗れ、岩木山の噴火と共に、北の「ヤマタイカ」も一気に加熱して東京へと進撃していく。

かくして、南北の火の民族による「ヤマタイカ」は共に首都・東京へと雪崩れ込み、太平洋から戻った戦艦「ヤマト」も、自衛隊の妨害と攻撃を易々と退けて、東京湾への進入を果たす。さらに火の民族の手により、日本の要石である富士山が遂に噴火する。 最後の1人となった四天王は、三種の神器を携えて、戦艦「ヤマト」艦上で卑弥呼(=アマテラス=アマミク)の後継者に挑み、相打ちとなる。卑弥呼の後継者の死と共に、ヤマトは大爆発し、消滅した。

その後、1週間続いた富士山の噴火と共に首都で繰り広げられた「ヤマタイカ」は、その狂乱で国家秩序を完膚なきまでに破壊し、かつての踊狂現象と同じように「世直し」を果たす。 祭りを終えた「オモイカネ」は沖縄、久高島へと帰っていった。

その1年後、「ヤマタイカ」に破壊された日本の再生が始まり、次の「ヤマタイカ」を予感させる場面で、物語は終わる。(以上、東征編)